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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)5965号 判決

原告 医療法人 社団仁愛会

右代表者理事 栗山重也

右訴訟代理人弁護士 荒井洋一

同 松本啓介

被告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 坂巻幸次

同 石井久雄

同 友田和昭

主文

一  被告は、原告に対し、金三一万円及びこれに対する昭和六二年三月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一六一万一七四〇円及びこれに対する昭和六二年三月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、肩書地に東埼玉病院(病床数一八一床)を、神奈川県海老名市に海老名総合病院(病床数四〇七床)を、それぞれ開設している医療法人である。

2  昭和五七年三月二五日頃、原告と被告は、学費等貸与契約を締結した。その内容は、原告は、被告に対し、同人が准看護婦資格取得後原告に二年以上常勤しないとき等には直ちに貸与金を返済し、及び寮の賃料相当額を支払うことを条件に、被告が准看護婦学校に就学する期間必要な学費を貸与すると共に、寮に無料で住まわせることを約し、他方、被告は、原告に対し、被告が准看護婦資格を取得後原告の病院で二年間以上常勤(看護婦は、日勤八時三〇分~一七時三〇分、準夜勤一七時三〇分~一時三〇分、深夜勤一時三〇分~八時三〇分の三交替制を原則とする交替勤務である。)することを約するものであった。

3  被告は、昭和五七年三月二九日原告に看護学生として採用され、同年四月春日部准看護婦学校に入学し(午後通学)、同校に通学しながら原告に通勤した。その間、原告は、前期学費等貸与契約に基づき、被告に対し、左記内訳のとおりの学費等として五二万六七八九円を貸し渡し、また、住居として自炊可能な六畳間(昭和五七年三月二八日から同五九年一一月一一日までは清地第一寮、右同日から昭和六一年三月二〇日までは清地第二寮)を貸し与えた。

(一)昭和五七年度分 三〇万二八八八円

授業料 七万二〇〇〇円 (月額六〇〇〇円)

PTA会費 七万二〇〇〇円 (月額六〇〇〇円)

実習費 二万四〇〇〇円 (月額二〇〇〇円)

旅行積立金 一万八〇〇〇円 (月額一五〇〇円)

生徒会費 六〇〇円 (月額五〇円)

制服代 三万二九〇〇円

入学金 四万〇〇〇〇円

教科書代 一万一八〇〇円

実習衣 一万一二六〇円

生徒手帳外 一一五〇円

通学定期代 一万四九六〇円

クラブ費 五五〇円

雑誌代 三二〇〇円

実習交通費 四六八円

(二)昭和五八年度分 二二万三九〇一円

授業料 七万二〇〇〇円 (月額六〇〇〇円)

PTA会費 七万二〇〇〇円 (月額六〇〇〇円)

実習費 二万四〇〇〇円 (月額二〇〇〇円)

旅行積立金 二万四〇〇〇円 (月額二〇〇〇円)

生徒会費 六〇〇円 (月額五〇円)

生徒手帳 四五〇円

卒業時寄付 一万三〇〇〇円

通学定期代 一万五一五〇円

実習交通費 二七〇一円

4  被告は、昭和五九年三月右准看護婦学校を卒業して准看護婦の資格を取得し、同月二一日から同年四月九日まで原告に准看護婦として勤務(常勤)した。しかし、被告は、同月一〇日聖和看護専門学校に就学したため、同日以降常勤ができず、午前八時から午前一一時三〇分まで並びに月数回の準夜勤及び深夜勤の変則勤務しかできなかったため、前記学費等貸与契約の返済及び支払期限が到来した。

5  原告は、右同月初め頃、被告に対し、右返済及び支払を同人が右看護専門学校卒業後原告に常勤しなくなったとき、又は常勤二年未満で退職することとなったときまで猶予するとともに、被告との間に、引き続き寮に住むことを認め、右のとおり被告が原告に二年以上常勤しなくなったときにはその間の賃料相当額を支払う旨の契約を締結した。

6  被告は、第三年次課程に進むため、原告に対し、昭和六一年三月二一日から翌六二年三月三一日までの休職願を提出して休職したが、その際、原告は、被告から休職中も、健康保険及び厚生年金を継続したいとの申出を受けて、被告との間で、常勤二年以上勤務しないときには健康保険及び厚生年金の事業主負担金及び被保険者負担金を直ちに返済するとの約束で右負担金を貸与する旨の契約を締結し、右休職期間中、右事業主負担金合計一四万四九五二円及び被保険者負担金合計一七万七七四二円をそれぞれ支払った。

7  被告は、右休職期間満了前の昭和六二年三月一六日原告を退職し、原告に常勤しないことが明らかとなった。したがって、同日をもって、貸与金等の支払期限が到来した。この貸与金等は、前記3の貸与金五二万六七八九円、前記6の負担金三二万二六九四円であり、また、原告が被告に対し使用を認めた寮の賃料相当額は少なくとも一ヵ月二万円を下らないから、昭和五九年四月一日から同六一年三月二〇日までの賃料相当額の合計は九三万九九九九円となる。

被告は、前記被保険者負担金合計一七万七七四二円を返済したが、その余の支払をしない。

8  よって、原告は、被告に対し、前記貸付金等契約に基づき、貸付金及び賃料相当額合計一六一万一七四〇円並びにこれに対する右金員の弁済期限の翌日である昭和六二年三月一七日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因事実に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。学費等を返済するなどの契約は存在しなかった。准看護婦学校通学当時の被告の給料は低額であったのみならず、二年間昇給もなかったし、賞与もなかった。学費等の支給は全て労働条件の一部であった。

3  同3の事実中、被告が原告主張の日に原告に看護学生として採用され、同年四月春日部准看護婦学校に入学し(午後通学)、昭和五九年三月まで同校に通学しながら原告に勤務し、また、住居として自炊可能な六畳間の貸与を受けたこと、右看護婦学校の授業料、PTA会費、旅行積立金、生徒会費、入学金、通学定期代が原告主張のとおりであったことは認めるが、原告が被告に貸し渡したとの点は否認し、その余の事実は不知。

4  同4の事実中、学費等の返済期限が到来したとの点は否認し、その余の事実は認める。なお、被告は、昭和六一年三月二一日以降原告に勤務することができなくなったが、それ以前の二年間原告で働いたのであるから、返済義務を負うことはない。被告は、看護学生である期間中はもちろん、その後本件訴訟になるまで、准看護婦学校卒業後働かなければならない「二年間」が「常勤として二年間」の意味であると告げられたことはなかった。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実中、被告が第三年次実習過程に進むため、原告に対し、昭和六一年三月二一日から翌六二年三月三一日までの休職願を提出して休職したことは認めるが、右休職期間中原告が健康保険及び厚生年金の事業者負担金及び被保険者負担金を原告主張のとおり支払ったことは知らない、その余の事実は否認する。

7  同7の事実中、被告が右休職期間満了前の昭和六二年三月一六日原告を退職し、原告に常勤しなくなったこと及び被告が原告に対し一七万七七四二円を支払ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

一  当事者

1  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

2  被告が昭和五七年三月二九日原告に看護学生として採用され、同年四月春日部准看護婦学校に入学し、同月から昭和五九年三月まで原告に勤務しながら右学校に通学したこと(午後通学)、被告は、昭和五九年三月右准看護婦学校を卒業して准看護婦の資格を取得し、同月二一日から同年四月九日まで原告に准看護婦として勤務したが、同月一〇日聖和看護専門学校に就学したため、同日以降常勤ができず、次いで昭和六一年三月二一日から翌六二年三月三一日までの休職願を提出して休職したこと、被告は、昭和六二年三月一六日原告を退職したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

3  《証拠省略》によれば、被告は、休職願の提出直前頃、原告側に退職の意思を告げたところ、原告の東埼玉病院の総婦長堀口富美子、同病院の事務長阿部實らから退職を思い止まるように説得され、また、もし、退職する場合には原告の支出した学費等の返還を求められたこと、その際の要求額はまだ明確ではなかったこと、被告は、退職するか、それとも原告の病院に務めるかの結論を右看護専門学校の卒業まで留保すべく、休職願を提出したこと、原告側も、冷却期間を設けることにより、被告が翻意し、看護専門学校卒業後原告の病院に勤務してくれることを期待し、休職扱いを認めたこと並びに右休職扱いとしたのは、健康保険及び厚生年金の被保険者としての地位を継続させる意図に基づくものであったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  被告の原告での勤務形態

1  《証拠省略》によれば、看護学生であった被告の勤務時間は、月曜から土曜までは午前八時から午前一二時まで、日曜日は交替で半日勤務し、その分を平日代休するといった形態であったこと、勤務内容は実習を兼ねて、看護婦の補助作業として、掃除、患者のベッドメーキング、患者の清拭、排便の手伝い、レントゲン撮影の際の患者の付添等を行ない、また、診療以外の作業を知っておくため、事務、給食の手伝いに従事していたこと、なお、原告は、この間、看護学生である被告に対し、月額五万円を支給していた(昇給、賞与なし)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  被告が准看護婦の資格取得後の昭和五九年三月二一日から同年四月九日までの勤務が常勤であったことは当事者間に争いがない。

3  被告が聖和看護専門学校に通学していた昭和五九年四月一〇日から休職した日の前日である昭和六一年三月二〇日までの期間、被告は、午前八時から午前一一時三〇分まで並びに月数回の準夜勤及び深夜勤の変則勤務をしたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右看護専門学校に通学していた期間中、被告は、原告側の配慮により、日勤については時間的に余裕のある産婦人科病棟に勤務し、準夜勤(午後四時半から〇時まで)及び深夜勤(二三時半から朝の九時まで)については普通に務めていたこと、その間の被告の月給は、基本給が八万円であり、これに対し常勤の准看護婦となった同僚の常勤者の基本給は一一万八〇〇〇円であったことが認められる(右認定に反する証拠はない。)。

三  原告による学費等の支出

1  原告が被告の春日部准看護婦学校就学に関し、その主張のとおりの授業料、PTA会費、旅行積立金、生徒会費、入学金及び通学定期代を支出したことは当事者間に争いがなく、その余の主張どおりの実習費、制服代、教科書代、生徒手帳代、クラブ費、雑誌代、実習交通費、卒業時寄付等を出捐したことは、《証拠省略》により認められる(この認定に反する証拠はない。)

2  被告は昭和五七年三月二八日から同五九年一一月一一日まで清地第一寮に、右同日から昭和六一年三月二〇日まで清地第二寮に居住していたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右清地第一寮は、原告が関口博正から看護婦寄宿舎として月額一二万円で賃借している八室から成る建物であり、台所及び風呂場は八人で共用するものであったこと、これに対し、清地第二寮は原告の所有に属する建物で、台所、風呂は二人で共用することとされていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

3  《証拠省略》によれば、被告の休職期間中、原告は、被告の健康保険及び厚生年金について、事業主負担金として一四万四九五二円及び被保険者負担金一七万七七四二円を納付したことが認められ(右認定に反する証拠はない。)、このうち、被保険者負担金の一七万七七四二円については被告が原告に弁済したことは当事者間に争いがない。

四  学費等貸与契約の内容

1  《証拠省略》によれば、原告の看護学生募集要項には、学費・交通費(入試より卒業迄)金額当病院負担、給与一ヶ月五万円支給、寮費無料と記載されているほか、括弧書で「資格取得後二年間当病院に勤務していただきます」旨注記されていたこと、原告がこのようにして看護学生を募集しているのは、看護婦不足に対処しようとしたためであること、しかし、一般に募集に当たって「二年間の勤務」の内容が常勤でなければならないのかどうかは明示しておらず、被告の採用に際しても、この点は明示していなかったこと、原告担当者が、募集又は採用に際し、被告に対し准看護婦資格取得後二年間原告の病院に勤務しなければ学費等の返還を求めることがある旨告げたこと、しかし、返還を求める「学費等」の範囲については明示していなかったこと及び被告も准看護婦資格取得後二年間原告の病院に勤務しなければ学費等の返還を求められることがあることを了知して看護学生募集に応じたことが認められ(る。)《証拠判断省略》

2  右事実によれば、右の看護学生募集の内容は、資格取得後二年間原告に勤務することを条件に、学費等を原告が負担する趣旨であり、もし、資格取得後二年間原告に勤務しないときは学費等の返還義務があることを前提とするものであることが明らかである。

ところで、前記のとおり、被告は、准看護婦の資格を取得した昭和五九年三月二一日から休職の前日である昭和六一年三月二〇日までの二年間原告に勤務していたから、一応右の条件を満たしているようにも見える。

しかし、このような看護学生を募集している趣旨が看護婦の不足を解消とする意図に基づくことを併せ考えると、資格取得後予定されている勤務は常勤ないしそれに近い形態のものに限られるものと判断するのが相当である。常勤以外の勤務には種々のものがあり、短時間のパート程度の勤務を二年間継続しただけで、二年間常勤した場合と同視することは相当でないからである。これに関し、被告の勤務形態は、前記しているように、常勤者とは異なり、準夜勤及び深夜勤については同じ通常勤務であったが、日勤については通学の関係で午前中のみであり、しかも勤務場所についても通学のための配慮をしてもらっていたというのであるから、資格取得後に予定されていた常勤ないしそれに近い勤務であったということはできない。

3  してみると、被告は、二年間勤務という条件を満たしたものということはできないから、原告が負担した学費等について返還義務があるというべきである。

五  返還義務の範囲

1  原告が被告の春日部准看護婦学校在学中の学費等五二万六七八九円を支出したことは前記のとおりであるが、被告の勤務形態が常勤者とは異なっていたとしても、被告は二年間に亘って前記したような勤務を継続しているのであるから、被告に全額の返還義務があるということとするのは信義則上相当でなく、被告が返還すべきものは、原告の負担したもののうち、約六割である三一万円と認めるのが相当である。

なお、被告は弁済義務の存在を全面的に否定しているので、信義則を適用して、弁済義務の存在を一部に限定して認めることは弁論主義に反しない。

2  原告は、被告が准看護婦資格の取得後二年間原告に勤務しなかったときは、寮利用による利得を返還する旨及び健康保険等の事業主負担金の弁済をする旨被告が約したと主張し、それに沿う《証拠省略》があるが、しかし、その供述内容も、学費等の返還をすべき旨を告げた趣旨にとどまり、被告が原告に採用される当時あるいは原告を休職する直前に、その返還すべきものの内容として寮利用費及び健康保険等の事業者負担金を明示して告知していたと認めることのできる証拠もないので、返還約束を前提とする原告のこれらの請求は理由がない。

3  そもそも、寮を無償で利用することは労働に対する対価の面もあるので、この分についての返還をさせる約束の効力も疑問であり、原告の寮利用相当費の支払を求める請求は、この点からも理由がない。

右結論は、被告が春日部准看護婦学校に在学中のみならず、聖和看護専門学校在学中も同じである。

また、原告は、被告の休職期間中原告が負担した健康保険及び厚生年金の事業主負担金について、その返還を求めているが、原告のこれについての納付が法律上義務があるものであればその分の返還請求を認めることは相当でないし、逆に納付義務がないことを知りながら納付したものであれば、被保険者負担金についてはともかく(この分については原告において弁済していることは前記のとおりである。)、事業者から元従業員に対する弁済請求をすることは相当でないので、原告の健康保険等の事業主負担金の返還を求める請求は、この点からも理由がない。

六  結論

よって、原告の被告に対する請求は、金三一万円及びこれに対する昭和六二年三月一七日(この日が被告の退職日の翌日であり、退職日に返済義務が発生した。)から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでその限度で認容し、それを超える請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中康久)

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